「一人になる」こと [5月25日] インパク総編集長の糸井重里さんからメールをいただいた。文末に「ONLY IS NOT LONELY」という言葉が添えてあった。なるほど!イイ言葉だなと思った。「一人でできる」という私のテーマにもぴったりだ。いただきだ。 「一人でできる。ONLY IS NOT LONELY」って感じ。 一人でやってるからって、それは孤独とか孤立ってことじゃないんだよな。唯一の一人である自分を確認すること、かけがえのないたったひとりの自分を発見することから、繋がりが始まるんだ。まず自分ありき。そっからが関係のスタートだ。自分抜きにして関係という入り口から人と出会うことはできないんだ。 とはいえ、偉そうなことを言っても、私なんかいまだに人間関係にすったもんだしながら生きている。自分の4歳の娘とだって関係バランスをとるのが難しいんだから笑ってしまう。 理屈じゃないんだよな。だって、私がいくら頭で理屈を考えたって、それは4歳の娘にはてんで通用しないんだもの。だから、年中、腹を立てて怒ってる。そんで娘にむかって「バカ!」と怒鳴り、娘から「バカっていう人がバカなんだよ」と切り返されて地団駄を踏んでいる。 「なんてへらず口が多い子供なの、あんたみたいな憎らしい子とはもうお母さん遊ばない」 ......こう書いていると、まるで子供の喧嘩みたいだな。すると娘は 「やだ〜、遊んで〜、うえーん」 と泣きだす。私はハッと我に返り、なんと大人げないのだと反省し、娘を抱きしめて、 「ごめんね〜、お母さんが悪かったよ〜」といっしょに泣くのである。で、まあそれなりに仲直りするのだが、こんなことを一日に二、三回繰り返しながら生活している。けっこうハードである。 しょせん、エッセイでしゃらくせえ事を書いていても、私の「大人度」はこの程度であり、褒められたもんではない。それでも、自分の未熟さを横目で睨みながらも伝えたいことがあるとすれば、それが私のテーマである。 「一人でできる」は、私が自分の子供に伝えたいことだ。そして、奇しくも糸井さんが書いていたように「ONLY IS NOT LONELY」なのだ。 さらに言うなら「自分は一人であり、だからこそかけがえのない私である」という認識につきまとう感情は「ロンリー」という英語に表現されるようなセンチメンタルな孤独ではなく、どちらかといえば「ソリチュード」に近い、静寂をともなった孤高に立つ悲しみにような気がする。 一人であることが、悲しみを伴わないとは言わない。やはり一人は悲しい。でもそれは、人間が生まれたときから抱えている悲しみだ。そして、悲しみはけして人の心を壊さない。 心が壊れるのは「憎しみ」「嫉み」「恐怖」そんな感情だ。でも「悲しみ」という感情はとても透明な感情で、悲しみで人が潰れることも壊れることもないのだ。いつしか人は「悲しみ」を越える。そして「悲しみ」の果てには「愛」がある。 またしても偉そうなことを言っている。確信はない。見たわけでもない。ただ、そのような予感があり、そうであったらいいな、もしかしたらそうじゃないかな、という私の希望的観測である。 「一人になる」こと、「一人を自覚する」こと。それは、悲しみとの最初の出会いであり、そして愛への一歩なのだと、私は思っている。